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    鉄道トリビア (107) 東急池上線五反田駅の高すぎるホームは悲運の歴史の象徴だった
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      鉄道トリビア (107) 東急池上線五反田駅の高すぎるホームは悲運の歴史の象徴だった 

       東急池上線は、山手線の五反田駅と京浜東北線の蒲田駅を結ぶ路線だ。途中には「〜銀座」の元祖ともいえる戸越銀座駅や、力道山の墓で有名な池上本門寺の最寄り駅となる池上駅などがある。

       その池上線の起点、五反田駅のホームは、なんと地上4階の高さ。山手線から乗り換えるには、長〜い階段を上らなくてはいけない。階段を使いたくなければ、山手線の中央改札を降りて商店街にある横断歩道を渡り、東急の駅ビルのエレベーターやエスカレーターを使うことになる。かなり遠回りだ。

       東急池上線五反田駅ホームからの眺め

       もっとも、この付近もやっとエスカレーターとエレベーターの設置工事が始まった。エスカレーターは2011年冬、エレベーターは2012年夏から稼動する予定。それにしても、いったいなぜ、こんなに高いところに駅を作ったのだろう。

      国分寺への延伸計画もあった東急池上線

       東急池上線の五反田駅は、駅ビルに頭を突っ込んだ形になっている。いかにも終点という構造だ。そんな池上線にはかつて野望があった。五反田駅から先、白金方面に延伸する計画である。そのためには高架の山手線を乗り越えなければならない。だからこの高さで作られた。

       しかし、現在はその進路をふさぐ形で駅ビルが建てられている。理由は池上線の野望が砕かれたからである。

       東急池上線のルーツは池上電気鉄道だ。池上本門寺への参詣客を輸送する目的で、当初は目黒と大森を結ぶ計画だったが、用地買収の困難などで建設が停滞した。そこで支線として認可を受けた池上〜蒲田間が先に開業する。そのまま洗足池への観光客を目当てに延伸し、目黒を目指した。

       ところが、その計画と完全に並行する路線を、目黒蒲田電鉄が先に開業させてしまった。池上電気鉄道は延伸先を五反田駅へ変更することに。

       山手線ホームから池上線ホームを見る

       池上線ホームから山手線ホームを見る

       当時の池上電気鉄道の五反田駅は、現在の大崎広小路駅。池上電気鉄道の経営は厳しく、目黒川を越える鉄橋を作りたくなかったものと思われる。距離にして約300mだから、乗り換えられない距離ではない。

       経営の厳しい池上電気鉄道だったものの、都心へ延伸すれば起死回生のチャンスがあると考え、白金や品川方面への延伸を決めた。その足がかりとして、山手線と接続する現在の五反田駅を作った。

       だが、今度は東京地下鉄道が馬込への地下鉄路線の免許を取得し、京浜電気鉄道と乗り入れる計画を発表。これで池上線の延伸計画は頓挫した。

       池上線ホームは4階。電柱より高い

       目黒川からの眺め。左奥が山手線。右上が池上線

       一方、池上電気鉄道は雪ヶ谷駅(現在の雪が谷大塚駅)から国分寺駅までの支線を計画しており、途中の新奥沢までの路線を開通させた。

       ただ、この路線は目黒蒲田電鉄のエリアを横断し、同社の蒲田〜奥沢間の客を奪う路線でもあった。結局、池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に買収され、雪ヶ谷〜新奥沢間の支線も廃止されてしまった。

       なにかやろうとするたびに横槍が入った池上線は、この買収によって現在の形に落ち着いた。対する目黒蒲田電鉄はその後、東横線の母体である東京横浜電鉄も手中に収め、東急グループへと発展していく。

       東急池上線には、過去に「都営地下鉄三田線と相互乗り入れ」という計画も浮上していた。当時、大崎広小路駅と戸越銀座駅の間にあった桐ヶ谷駅まで三田線を延伸し、接続する計画だった。実現すれば、池上線の桐ヶ谷〜五反田間は廃止する予定だったという。この計画が実行されていたら、いまの五反田駅付近の光景もなくなっていただろう。

       その都営三田線は現在、東急目黒線と直通運転を行っている。そう、かつて目黒蒲田電鉄が開業させた路線だ。地下鉄との相互乗り入れをはたした目黒線に対し、都心直結の野望を絶たれ、23区内にありながら3両編成の電車が行き交い、ローカル線のような雰囲気さえある池上線。五反田駅の高すぎるホームは、そんな池上線の”悲運の歴史”を象徴しているかのようだ。

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